やまぐちの伝統芸能

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画像:平家踊り

平家踊りへいけおどり

  • 下関市

京の都で権勢を誇った平家一門も源氏に追われ、ついに下関の壇之浦で短い栄華の夢を閉じます。平家踊りは、この戦いで敗れた平家供養の踊りに源を発し、加えて港町という地域性から全国各地の踊りが融合されつつ、現在のスタイルになったといわれています。軽快なリズムを刻む二上りの三味線と、高低二種類の勇壮な太鼓と空樽からなる囃子方をバックに、七七調を基本とした口説き節の音頭がリードします。また、踊りは手を胸より上で交互に繰るような動きを基本としていることから「糸繰り式」と言われ、11拍子という奇数拍子で踊る点が特徴です。市内各地の夏祭りや盆踊り、小中学校の体育祭でも踊られ親しまれていますが、中でも市内最大の夏祭りである「しものせき馬関まつり」総踊りでは、数千人を超える踊り手が会場を埋め尽くし、見るだけでも平家踊りの魅力、太鼓のリズムの迫力を実感していただけるものと思います。

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画像:岩戸神楽舞

岩戸神楽舞いわとかぐらまい

  • 宇部市

12月5日の天神祭前夜に、二道祖地区公会堂の遥拝所神前で奉納される神楽舞いです。御伊勢山に祀られている皇太神宮を尊び敬う気持ちから、この神楽を奉納行事として始めたと言われています。約270年前より集落行事として毎年奉納されてきましたが、高齢化に伴い平成20年の奉納を最後に途絶えてしまいます。しかし、平成30年8月に岩戸神楽舞復興委員会を設立し、3年計画で復活を目指し、地域内外の作家や高校生等から多くのご縁を頂きながら、令和元年12月の仮披露を経て、令和2年12月に完全復活を果たしました。昨年はコロナ禍により定員を80名とし、同時にライブ配信をするなど、地域内外への情報発信も積極的に行っています。今後も、宇部市北部地域の特色を生かし、他地域とのコラボを企画するなど、幅広い世代に知っていただけるよう活動を頑張ってまいります。

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画像:宇部南蛮音頭

宇部南蛮音頭うべなんばおんど

  • 宇部市

宇部市は石炭産業で発展した都市です。当初は原始的な石炭の採掘法でしたが、天保11年(1840)に宇部揚巻装置(南蛮車)が発明されました。これは、端に8本の押し棒がついた八角形の木製ドラムで、この棒を押しながら廻すと2本のロープで坑内の排水と石炭の巻き上げが行われる仕掛けでした。当時としては大発明であり、宇部の炭鉱開発に大きな役割を果たしました。この便利な機械仕掛けがいつしか「南蛮仕掛け」と呼ばれるようになり、姉さん達が炭坑で南蛮車を押しながら唄った仕事唄を現代化したものが南蛮音頭です。宇部市では県を代表する民謡のようによく唄われています。宇部南蛮音頭保存会では、郷土の生活の中から生まれた唄である南蛮音頭を保存継承するだけでなく、毎年20万人を超える観光客が訪れる宇部まつりや各種イベントで実演し、地域活性化に大いに貢献しています。

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画像:小鯖代神楽舞

小鯖代神楽舞おさばだいかぐらまい

  • 山口市

小鯖代神楽舞は、毎年秋の小鯖八幡宮例祭時に神社の境内で舞われる代神楽舞で、江戸時代の初期に住民の家内安全・繁昌を祈って伊勢から伝承を受けたと言われています。春秋の大祭に舞われたほか、民間の五穀豊穣祈念や豊作の感謝、悪魔祓い、その他慶事に招かれて舞われてきました。慶事に招かれた際は、獅子は宝剣をくわえ御幣をもって竈神様を拝んだ後に御幣を奉納しますが、悪魔祓いには、その動作として、信者の頭を3回噛む所作が伝えられています。太鼓笛鉦の合奏により、獅子、赤一色の衣装を着た「鼻舞」、ひょっとこの面を付けすりこぎを持った「ひょうげ爺」、おたふくの面を付けしゃもじを持った「おたま」が舞い踊ります。現在では、10月最終日曜日に開催される小鯖八幡宮秋祭りでの舞の奉納のほか、小鯖小学校での地域の伝統文化を学習する授業に出向き、代神楽の歴史紹介や和楽器体験などの活動を行っています。

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画像:十二の舞

十二の舞じゅうにのまい

  • 山口市

山口市秋穂の赤崎神社では、例年6月の申の日と霜月11月の申の日を祀り、特に申年霜月申の日には、国家安全・五穀豊穣を祈念し、十二の舞が奉納される習慣がありました。口伝によると、昔この社の西方の森に猿が住み着き、農作物を荒らし疫病が流行するようになったため、猿と疫病を封じ込めようと十二の舞が奉納されるようになったと言われています。十二の舞は、神楽舞に始まり、勧進の舞、日本の大社・厄神、三宝荒神等の神霊を迎える舞、王子の舞(四方四季を司る舞)と続き、岩戸の舞、最後に御前の舞が行われます。いつごろから舞われていたかは不明ですが、文政7年(1836)に一般の人々の神楽となり、赤崎地区の若者が受け継いで奉納するようになりました。戦後、一時中断しましたが、昭和48年に保存会が結成され、赤崎地区の全世帯が保存会の会員となり継承活動を行っています。

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画像:土居神楽舞

土居神楽舞どいかぐらまい

  • 山口市

土居神楽は石州舞に属するもので、大正時代の初期に島根県より講師を招き、積み重ねられて定着したものと言われています。阿東地域の嘉年土居集落の青年団が継承し、男子は15~16歳で青年団に入ると舞うことが義務づけられていました。当初15名内外の舞人がいたと記録にあり、土居集落の鎮守金峰神社と嘉年八幡宮に奉納されていました。大正から昭和初期までは、阿東地域にいくつかの神楽がありましたが、現在、残っているのは土居神楽のみになっています。昭和48年には保存会が結成され、嘉年地区土居自治会の住民のみで継承していましたが、現在、保存会では地域にこだわらずメンバーを広く募り、地元嘉年八幡宮秋季大祭での神楽奉納のほか、徳佐八幡宮秋季大祭や近隣神社や市内外の祭り、文化イベント等に積極的に出演しています。

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画像:徳地人形浄瑠璃

徳地人形浄瑠璃とくぢにんぎょうじょうるり

  • 山口市

徳地人形浄瑠璃は、佐波川流域の旧出雲村や八坂村で行われている人形浄瑠璃で、明治10年ごろから村内で浄瑠璃が流行していたと言われています。明治35年ごろに、大阪の文楽座の関係者らがこの地を訪れ浄瑠璃を伝授したことから、さらに人形浄瑠璃が盛んになりました。人形の操作には、徳地の人々の発明による竹串が使われ、一人で数体の人形を動かすことができるようになっており、浄瑠璃が語れる三味線弾きと2人だけでも上演できるのが大きな特徴です。船路八幡宮秋季大祭での上演のほか、地域の伝統芸能祭りやイベント等での上演など、主に県内での上演活動を行っています。地元小学校の総合学習への講師派遣や、中学校の人形浄瑠璃部の指導、文化祭での上演のほか、オリジナルシナリオを加えた演目の復活など、新しい取り組みにも挑戦しています。

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画像:山口鷺流狂言

山口鷺流狂言やまぐちさぎりゅうきょうげん

  • 山口市

鷺流狂言は江戸時代を通じて幕府御抱えの流派で、大蔵流・和泉流とともに狂言の三流儀でしたが、明治に入り衰退し、宗家、分家ともに絶え流儀としては滅亡に至りました。現在、地方で伝承されてきたものが、山口、佐賀、佐渡の3か所にのみ伝わります。山口鷺流狂言は、山口にある野田神社の上棟式の神事能に招かれた、元萩藩お抱え狂言方である春日庄作により山口の町衆に伝えられたものです。戦後、狂言が衰微していく事を心配した有志により、昭和29年に山口鷺流狂言保存会が結成され、春日庄作の直弟子らを中心に伝習者の養成に努めてきました。現在、山口鷺流狂言保存会では、週1回の伝習会のほか、年1回の定期公演、市内小中学校での公演・演技指導、こども狂言教室の開催や県内各地のイベント等への出演など、1年を通して積極的に保存・継承活動を行っています。

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画像:大板山たたら太鼓

大板山たたら太鼓おおいたやまたたらだいこ

  • 萩市

萩市には、日本の伝統的な製鉄方法であるたたら製鉄の遺跡「大板山たたら製鉄遺跡」があります。ここで作られた鉄は萩藩の洋式造船を支えるものであり、この遺跡は明治日本の産業革命遺産の構成資産の1つとして世界遺産に登録されています。大板山たたら太鼓は、その文化と伝統をPRし、福栄地域(旧福栄村)の地域文化の振興と発展のため、平成8年にたたらの炎をイメージして作られたものです。現在も大板山たたら製鉄遺跡と協調しながら、同遺跡の世界遺産登録に寄与するなど、伝統文化の継承はもとより、地域の発展のために尽力しています。市内のみならず県内各地のイベントに出演するなど、福栄地域の活性化、PRに大きく貢献しているほか、地元小中学校の授業で和太鼓の練習を取り入れたり、一般市民を対象とした和太鼓教室を開催したりするなど、後継者の育成にも力を入れています。

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画像:昇殿 巫女の舞

昇殿 巫女の舞しょうでん みっこのまい

  • 萩市

萩藩2代藩主毛利綱広公(1650年代頃)のとき、安芸の厳島神社を勧請して萩城の東北海上1里の所にある越ヶ浜の池畔に社が建立されました。この社では毎年旧暦6月17日の夜に、本社の厳島神社と同じように管弦祭が催されます。その際、神輿を船に乗せて海上を渡りますが、船に続いて大きな漁船2艘を横に並べ、その上に舞台を造った巫女船が続き、4人1組の巫女によって船上で舞が舞われます。昭和46年3月26日に「巫女(みっこ)の舞」、神社を背景に漁師が網を引きながら歌う「大網声(おおあみごえ)」が萩市無形民俗文化財に指定されました。毎年、春・夏厳島神社大祭では巫女の舞を、神貴祭、えびす祭には舞の奉納を行っています。毎年の奉納を実施するために、地域の伝承者が子どもたちを熱心に指導しており、地元越ヶ浜保育園での三世代交流や地域交流活動なども積極的に実施しています。

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画像:南京玉すだれ

南京玉すだれなんきんたますだれ

  • 防府市

室町時代に発祥したといわれる「南京玉すだれ」の普及と継承を図るため、平成20年1月に創立されました。南京玉すだれ保存会が承継している「仙助流 南京玉すだれ」は和妻の一種として、文化庁から、社団法人日本奇術協会(現在は公益財団法人に移行)に対し、記録作成等の措置を講ずるべき無形文化財に選定(平成9年5月27日)されています。 伝統芸能である「南京玉すだれ」の楽しさ、おもしろさ、不思議さを、子どもからおとなまで幅広く県民に普及するため、学校や老人ホームでボランティアとして、慰問・イベントを令和3年までに341回ほど公演し、継承活動や社会福祉活動等地域社会に貢献しています。また、定期的に講演会を開催し、伝統芸能の普及、後継者の育成に努めています。近年では、「編み竹踊り」、「ささら踊り」、及び「傘踊り」など幅広く公演することで地域の活性化の一助になるよう活動に励んでいます。

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画像:切山歌舞伎

切山歌舞伎きりやまかぶき

  • 下松市

切山八幡宮の春祭や秋祭、御田頭御幸祭などで上演される歌舞伎です。江戸時代の宝暦年間の初めごろ、切山のイノサコの長重良が京参りの帰途、難波で竹本座の人形浄瑠璃や歌舞伎を見てその面白さが忘れられずにいたところ、ある夜、彼の枕元に白髪の衣冠束帯の神が現れて、「切山八幡宮の秋祭に歌舞伎芝居を奉納せよ。しからば切山一帯は、五穀がよく実り平和安泰となる。」というお告げを受けました。そこで、長男三四良を難波に芝居の修行に行かせ、三年の修行の後、帰郷し村人に歌舞伎を教えたのが起源と伝えられています。
一時祭りの行事も下火になりましたが、昭和49年に保存会が、翌年に後援会が結成され、現在では、保存会と後援会が協力して切山歌舞伎の伝承・振興に取り組んでいます。
また、「子ども歌舞伎事業」や新人起用の公演、広報活用などが効果を上げ、若い世代への継承を着実に進めています。

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画像:三作神楽

三作神楽みつくりかぐら

  • 周南市

三作神楽は、山口県周南市北西部の和田三作地区に古くから伝承され、7年目ごと(卯年・酉年)の式年祭で地元河内社に奉納されてきました。
言い伝えによると大宝年間(約1300年前)に大飢饉があったとき、この地方にも五穀が実らず、疫病が発生し、多くの死者をだした村は悲しみの声で満ちていたと言います。この苦難から逃れようと河内社に五穀豊穣と疫病退散を一心に祈願したところ、翌年からは作物が実り病気も癒えた村には再び平和が訪れました。村人はそのお礼として神楽を奉納するようになった」と地元に伝えられている。
弐年祭で神殿を設け神迎えをして23の神楽舞を奉納するこの神楽は神祭りの一つの古風な形をとどめ、中世の華やかな芸能を取り入れて祭りの興奮を高めています。
昭和62年に山口県の、無形民俗文化財に指定され、平成12年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。
また、三作神楽保存会は昭和45年に発足し、地元三作の全世帯を会員として「神楽を永久に伝承すること」を会の目的としています。
後継者育成にあたっては富田中学校で三作神楽クラブの設立と活動を支援するなど、三作地区に限らず積極的に行っています

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画像:岩国行波の神舞

岩国行波の神舞いわくにゆかばのかんまい

  • 岩国市

岩国行波の神舞の起源は寛文8年(1668)以前とされ、式年祭は寛政3年(1791)から始まり、足掛け7年目ごとに絶えることなく行われています。
もともと神官が主体の社家神楽でしたが、明治4年の太政官布告で神官による神楽奉納が禁止された後は、里人によって神楽が継承され今日に至り、現在は保存会と地域住民が一体となり古くから受け継がれてきたこの伝統文化を継承しています。
式年祭では、当地河川敷に神殿を設け、一昼夜半をかけて全十二座と八関の舞を奉納するほか、毎年10月中旬の秋季例祭では、地区の鎮守・荒玉社の境内でその一部を奉納します。
こうした伝統的神事の継承に加え、岩国市における伝統芸能の保存と地域文化の高揚のため毎年開催される「岩国民俗芸能まつり」にも継続的に出演しています。
式年祭は、神事であるものの観光客をはじめ非常に多くの方が来観に訪れ、当地河原が来観者で埋め尽くされ、「岩国民俗芸能まつり」も市内外から多くの愛好者が訪れる行事であり、神舞の保存継承活動を通じて地域の観光振興に大きく貢献しています。

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画像:北中山子ども神楽

北中山子ども神楽きたなかやまこどもかぐら

  • 岩国市

岩国市美和町二ツ野集落に古くから伝えられてきた伝統芸能「山代白羽神楽」に触れ、伝承者を育成し、神楽を通じて子ども達が地域との交流を図ることを目的とし、昭和59年に発足しました。当時は北中山小学校で郷土学習として行っていましたが、平成13年に小学校が廃校となって以降、「北中山子ども神楽」独自で活動を開始し、神社等奉納神楽はもちろん、各地域のイベントや福祉施設訪問など幅広く神楽を披露しています。現在、6歳から高校3年生の14名で構成し、日頃は岩国市内を中心に、10の小中学校、高校に通いながら神楽を学んでいます。これからも、神楽を身近に感じ、伝統文化の楽しさ・大切さを肌で学び、みなさまに愛される、「岩国の孫」「やまぐち県民の孫」となるため、「北中山子ども神楽の色」をより一層幅広くお届けしていきます。

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画像:山代白羽神楽保存会

山代白羽神楽やましろしらはかぐら

  • 岩国市

出雲の流れをくみながら、安芸・備中の神楽も強く影響しているとされる山代白羽神楽は、古文書や口碑によると、相次ぐ飢饉や疫病の流行のため、五穀豊穣と悪疫退散の祈願を込めた神事として、寛政6年(1794)にはすでに舞われていたとされます。山代狂言神楽とも呼ばれ、「二ツ野舞子中」として活動していましたが、昭和38年の「山代白羽神楽保存会」設立と同時に名称を改めました。白羽神社の火災による衣装等焼失、若者の転出、高齢化など様々な伝承危機を乗り越えて、これまで一度も途絶えることなく受け継がれ、普段は静かな地域が、毎年行われる秋祭には、山代白羽神楽の奉納に合わせ、子どもや孫世代、親族らが帰省し、神楽があれば地域に子どもたちの笑い声、遊ぶ姿がみられ、地域にも活気が蘇ります。山代白羽神楽は、地域に根付き、地域に愛され、住民たちの心も動かす拠り所となっています。

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画像:阿月神明踊り

阿月神明踊りあつきしんめいおどり

  • 柳井市

柳井市阿月で伝承される火祭りの行事、国指定重要無形民俗文化財「阿月の神明祭」では、東西に一本づつ御幣や橙などで飾られた神明と呼ばれる柱を立て、その前で「神明太鼓」、女性による笠踊りや男性が新選組や赤穂浪士に扮して踊る「神明踊り」、長持ちを担いで練り歩く「長持ちじょうげ」などが行われます。阿月郷土芸能保存会は、これらの郷土に伝わる伝統芸能を保存し、次世代に継承していく目的で設立されました。阿月神明祭や阿月地区総盆踊り大会にむけて、子どもから大人まで一緒になって踊りの練習を行うとともに、行事の運営等でも重要な役割を担っています。また、阿月神明祭や阿月地区総盆踊り大会などで謡われる、地域独自の「音頭」の教室や、地区の小学生を集めて行われる阿月子ども神明太鼓教室などを定期的に開催し、練習を積み重ねています。

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画像:北河内神楽

北河内神楽きたがわちかぐら

  • 美祢市

美祢市美東町の北河内地区に伝わる神楽舞です。およそ400年前に集落で大きな火災があり、「今後火災が起こらないように集落の家が3戸になるまで神楽を奉納する」という厄除け祈願のもと、神楽が始まったと伝えられています。明治時代に萩市木間地区の皇子の舞を取り入れ、岩戸神楽と皇子神楽が混同する現在の形になりました。戦時中を除き、毎年途絶えることなく継承されていましたが、昭和40年代には舞い手が3人にまで減り存続の危機にありました。このとき集落の若手が立ち上がり北河内神楽舞保存会を結成。元は集落の成人した長男が舞う慣わしでしたが、長男に限らず誰もが参加できるようにして後継者を増やし、今では他県からの移住者も参加し、若い女性や小学生も舞い手に加わり、集落の秋祭りだけでなく、イベントや小学校等さまざまな場面で上演する機会も増え、益々の励みとなっています。

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画像:古式行事

古式行事こしきぎょうじ

  • 山陽小野田市

古式行事(大行司・小行司)は、秋の収穫を祝い、厚狭天満宮への奉納行事として行われているもので、大名行列とも呼ばれます。厚狭商店街の町筋を、大人の大行司、子どもの小行司、それぞれ15名が鮮やかに道具を振りかざして進み、その後に馬に乗った大殿様(小行司は小殿様)、さらに姫かごに乗った姫様などの乙姫行列が続きます。「アーヨイセー。アーヨイヤサノサー。アーコレワイサノサー。」という独特の掛け声と、六方を踏む踊りの所作をしながら練り歩き、厚狭天満宮の神前に奉納します。明治30年頃には現在の形に近い行列の奉納が行われていたとされ、戦後、一時衰退していましたが、昭和52年に長い伝統と歴史を継承しようと「古式行事保存会」が発足し、保存・継承されています。現在は毎年11月の厚狭秋まつりで披露されています。

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画像:龍王伝説

龍王伝説りゅうおうでんせつ

  • 山陽小野田市

龍王伝説は、旧小野田市の竜王山にまつわる龍の伝説に端を発し、シンボル的な存在である「龍」をテーマに、山口きらら博(平成13年開催)を契機に創作された地域の元気創造伝説です。宇宙から地球が生まれ、「大地」「大気」「海」ができ、生命が誕生します。何も無いところから生命が誕生するまで、長い年月にエネルギーとエネルギーのぶつかり合いや融合がありました。人類が誕生してからもこのエネルギーのぶつかり合いは、あるときは人々を震え上がらせ、また、あるときは救い・恵の手を差し伸べました。そして今、地域の発展に新たなエネルギーを生み出し、希望に満ち溢れています。このエネルギー体を旧小野田市のシンボルの龍に見立てて、火の化身で地底のマグマと太陽のエネルギーを象徴する「赤龍」と水の化身で地表の森や川、海と月のエネルギーを象徴する「青龍」で表現し、太鼓隊と龍舞隊で元気創造伝説を神秘的に表現します。

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画像:久賀引山太鼓

久賀引山太鼓くかひきやまだいこ

  • 周防大島町

久賀引山太鼓は、平安時代中期の貞観年間、今から約1,100年前に村の鎮守の神様として周防大島の中心部、久賀の八田山にお迎えした八田八幡宮に奉納したのが始まりで、現在のようなリズム太鼓となったのは、江戸時代中期とされています。
当時より、秋の収穫と豊漁を祝って各集落が山車を製作し、9月中旬の秋祭りの日に太鼓を先頭に町内を練り歩き、太鼓を競い合う勢いのある祭りでした。
昭和30年代に一時途絶えましたが、久賀町商工会青年部の有志が引山太鼓を復活させ、昭和50年に久賀引山太鼓保存会を結成しました。その後、伝統ある引山太鼓を後世に残していくために小中学生に引山太鼓の指導を始め、現在に至っています。 今年で結成47年目を迎えた保存会には、小学生から大人まで50名以上の会員が参加しています。

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画像:福賀神楽

福賀神楽ふくがかぐら

  • 阿武町

阿武町の福賀地区には昔から石見神楽が伝わっていました。しかし、高齢化により舞手が減少したことにより、金社集落に伝わっていた神楽を地元福賀中学校の生徒たちが神楽クラブとして、地域の方の指導を受けながら長年継承してきました。平成28年に福賀中学校は閉校となってしまいましたが、暮らしている地域の慣れ親しんだ伝統芸能を絶やすまいと、福賀中学校で神楽を習った経験のある青年達が発起し、福賀神楽保存会を結成しました。会員も小学生から60歳代までに拡がり、毎週1回の練習により舞う演目も増え、町内各地区の八幡宮での奉納や各種イベントでの披露など積極的に行ってきました。現在は新型コロナウイルス感染症の影響もあり奉納も減ってはいますが、感染対策を行い自主公演も行っています。

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